浪人時代


浪人時代のこと

私は、現役のとき宮城教育大学を受験しました。が不合格。
それもそのはず、高校は男子高校でしたが、吹奏楽部に明け暮れ、
打楽器パートで活躍?東北大会出場(もっぱら先輩の力)。
あとは生徒会長として生徒会活動に携わりました。
塾など行かず、勉強も試験前ばかり、模擬試験もさっぱりでした。
定期テストで一度だけ赤点(数学39)を取ったこともあります。

1年間仙台にあった、東北文理予備校(河合塾系)に
一年間片道1時間半かけて電車で通い、勉強しました。

翌年東北大の工学部を受けましたが、不合格。
(予備校の合格者のコメントも何人か選ばれた学生で
新聞掲載用に書いていたのですが日の目をみませんでした(笑))

当時は「センター試験」ではなく、「共通一次試験」でした。

われわれの時代は、中学では周期律表は当たり前のこととして
教わったし、(中学教科書で周期律表なしでなぜ化学反応が
説明できるのかが不思議でしょうがない。また復活するようですが)
高校物理では、回転軸をシフトした場合の回転モーメントも
取り扱っていたと記憶しています。
学習内容の中身の濃い時代でした。

かろうじて補欠合格していた東京理科大学の物理科に入りました。
ふー危ない危ない。

大学時代の話しはまた、別途話しするとして、
予備校時代のことを書きます。


私が浪人したときが、
仙台に代々木ゼミナールが進出してきた年でした。
その寮に住む友人も多かったです。

私は地元に前からあった予備校にしました。
東北大学に入るには、今までの実績や経験からそちらの予備校で
勉強するのが有利と考えたからです。

現金40万円弱をもって、入学申し込みにいきました。
これで1年勉強できるのは安いと思いました。
親にはすまなかったけれど。

予備校では、新潟や福島、なぜか島根から来ている人もいました。
われわれは行動をともにしていました。

結局みんなで理科大に進学したのですが、すごく奇遇ですね。

えっつ、「お前も理科大っ!?」ってな感じで。理科大のキャンパスで
再会したわけです。

さて授業の感じなのですが、予備校作成のテキストで勉強します。

何十人あるいは100人を超えるクラスで講義を受けます。

本当にいろいろな先生がいらっやいました。思い出すだけで懐かしいなあ~


特にお世話になったのは、物理の豊田先生で、穏やかな雰囲気で
、説明も上手だったし、手つくりの教材なんかも
持ってこられてた熱心な先生でした。

今となっては、私から見れば

「物理は、条件や法則から、未知数を既知量のみの関数で表現すること」

といい切れるのですが、予備校に入ったころはわからなかったですね。
物理なんかも、真剣に高校で勉強していませんでしたから。

先生が式(等式)を書くのだけれど、なぜ(何のために…まあ答えを出すためになのだけれども)
その式を書くのか?なぜその式を書こうと思ったのか?

がわからなかったですね。
今でも授業のシーンのいくつかは鮮明に思いだせます。
もう20年以上前の話ですが…。
そういえば嫁さんと出会ってからも20年だし(関係ないですね(笑))
月日が経つのは速いですね。自分ではそんなに年を取っている気はしないんですけれど。

とりあえず、講義の中でわからなかったものは、講師側にも責任が在るだろうという強気の姿勢で、
講師の控え室のある棟のエレベーターに乗って、乗り込んで行きました。

ここまでする人は、あまりいなかったですね。
皆さんほとんど理解できていたか、後で自分でしようと思ったのか、放置しただけなのか、
質問、疑問さえ浮かばなかったのか、わかりませんが、私のほかに質問に押しかける学生さんは
数名で、10名もいませんでした。

自分が講義で納得できないのは、必ず聞くようにしていました。

そのうち、この姿勢が実り「電気力線川村」の異名(笑)を取るようになりました。
物理は私に聞きにきたり、確認したりする友人も増えてきました。

実際一度予備校全体の試験で、医者を目指す集団の医進クラスも含めて、物理は2番になったことがあります。(1番でないところがちょっと弱いですね)

本当に豊田先生にはお世話になりました。

数年して、一度宮城に帰省したときに、缶コーヒーを箱で買って
挨拶に行きました。

「いまは川村君みたいに熱心に質問に来る生徒さんはいなくなりましたねえ。」
「学生同士のつながりとかも薄くなり、あのころとは学生さんの雰囲気も変わってきています」みたいな話をしてくれました。

私は予備校の卒業文集に「豊田先生2号になる」と書いていたのですが、
昨年の川村理系塾の開業から、その夢が実現したわけで今は幸せですね。

私は教えることが好きだし、お客さまにダイレクトに感謝される仕事が好きです。
お客様のご満足が、更に自分の向上心やがんばりにつながる。
その人の人生に大きくかかわる仕事でやりがいもありますね。

これからできるだけ多くの方と出会い、皆様の人生に貢献できれば幸せですね。
それが私の存在意義であるといえます。

書き出すと長くなりますね。今日はこの辺で失礼します。

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